みなも泳ぐ水鳥も

観劇と他の趣味

2023「ラグタイム」

3つの人種の物語という触れ込みだったけど、白人の中でも階級や男女のしばりがある描写が現実だった。
金銭に余裕のある男は露骨に表には出さないけど移民と握手はしないし、妻への"こうあるべき"がある。おじいちゃんが最初かなり抵抗ありそうだったのに、なんやかんや馴染んでいくのも良かった。貧困層は自分より金を持っている他人種が許せない。

ターテの映画のシーンとラストで、いろんな服の人が混ざって踊ってて素敵だった。のだけどやっぱりターテのストーリーが他と絡まない意図が掴みきれなかったのと、ラストもえ~~ってなった。昔の作品だからかもしれないけど、今なら家族にならなくても多民族が手をつなげるラストが見たいかも。

 

最後の図書館のシーンが本当に好きだった。
もちろんコールハウスの選択は間違ってるけど、明確な差別主義者だけでなく警察や裁判所の消極的無関心と偏見による過剰な警戒で大切な人とものを奪われたとき「正しい指導者」が救えるものは何か、そもそも黒人が救わなければいけないことなのかを考える。
説得されて自分だけで引き受けることを決めた表情、抵抗するヤンガーブラザーに泣きそうな笑顔で「大丈夫!」って言う、他の仲間にも笑って肩抱いて送り出すところが真骨頂。"リーダー"としての表情が苦しい。歌詞聴いてると、自分でも「賢い戦い方」ではないことはわかってるんだよね。でもあの時の彼にはそれしか選べなかった。

ファザーと2人になって息子のことを聞く口調と「やっぱり僕は殺されるのかな」の声と表情。ワシントンは公平な裁判を約束すると言って降伏を取り付けて、お父さんも(自分の命の保証も込みで)そんなことしないと信じたかったんだろうけど、それを守らないのが個人の集合たる"社会"なんだよな。(実在の偉人だけど少なくとも今作の)ワシントンは、自分が交渉役として立ち合い説き伏せて条件として公平な裁判を約束した同胞が目の前で狙撃されたのどう思っているんだろう。どれだけ「寛容と忍耐で乗り越えて」名声を積み上げても、結局軽んじられるのではないかと思うと、ただ道のりの長さを感じる。

作中でいちばん変わったのはファザーかなと思う。コールハウスとの対話がすごく良くて、これを川口さんと芳雄さんで見れているのがすごくありがたかった。

でもファザーは戦争であっけなく命を落とすし、ブロンド美女は美しさだけを消費されるし、大公さんへの注意は間に合わない。そうそう世界は変わらない。

 

サラへ通いが通じたあととか回想シーンとか幸せなシーンのときも好きだった。Wheels of a Dreamの希望に先のことを思って泣いた。背中合わせで向かいにいるようなサラとコールハウスのダンス、綺麗で切なくてつらい。

 

コールハウスの元に来たヤンガーブラザーの歌がものすごく良かった。元々紗がかかったような素敵な声質だなと思ってたけど、その質感はそのままにばんばん声が飛ぶようになっててすごい。

決意を固めてしまったコールハウスを見ながらヤンガーブラザーがべしょべしょに泣いていて、最後の退出の仕方も含めて彼は守られる存在だった。それは最後まで本当に仲間にはなりようがないところでもあるし、ここまで心を寄せてくれたことへの感謝でもあるのかな。

 

ネガポジ含め「髪パーマにしたらいいのに」って感想を見て、ファンデの色の延長の話なのではと思っていたけど、やはりもともとかつらつけるはずだったところを、もうこれもいらないんじゃないかということになったらしい。自分そのままで他の人種を演じる中で、じゃあ肌や髪の違いってなんだろう、と考えたとのお話もあって、今回の演出が完全な正解ではないと思うけど、カンパニーも観客もアジア人が多くを占める中で、考えるきっかけにはなったと思う。

それ以外にも感想見てたら「差別主義者がいるってわかってて行ってるから自業自得」みたいなことを強い口調で言ってる人いて、そう思うのは仕方ないとしても(たしかに行かなければ起きなかった出来事ではある)、通しで今作を見て感想としてそれを出力できるんだと思って本当にすごく落ち込んだ。あそこは差別主義者がいるから仕方ない、別の道を通ろうという判断を被差別属性側がするべきだったって、感想として普通に言っちゃうんだって。本当に「私たちと離れた遠い国の昔の話」と思って見れる人もいるんだって思って、道のりは遠い。

 


藤田さんは毎度当然のようにいらっしゃった。開演前駆け込んだら逆に前から歩いてきてて道譲ってくれたし、普通にいすぎ。
9/23マチネ、2幕の野球シーン直後に舞台機構不具合で一時中断して、直後にプロデューサーが出てきてご説明があった。何事もなく復旧して良かったけど、プロデューサーが表に立って説明してくれるの珍しい気がした。